ねぷた祭のちょっといい思い出

私の地元・青森県には有名な「ねぶた祭」がありますが、代表的な「青森ねぶた」「弘前ねぷた」をはじめ、五所川原の立佞武多(たちねぶた)・黒石ねぷた・むつ市の大湊ネブタなど、いくつか種類があります。

青森県は廃藩置県の際に、現在の青森県域にあった津軽の弘前藩・黒石藩、南部の八戸藩・七戸藩・斗南藩という、異なる文化圏の地域が一緒になる形で成立したので、八戸市が地元である私にとっては、ねぶた自体が津軽文化圏のものなので、そこまで馴染み深い訳でも無いんですが。

割と有名な「青森は津軽・南部の確執がある」って話ですが、相当古い年配の方で地元意識が尋常じゃなく強い方同士ではまだ色々あったりするらしいですが、なんたって江戸時代以前の話ですし、私くらいの年代になると気にしてる人自体が少数派じゃないかと思います…。

 

もうだいぶ前に亡くなりましたが、私の父方の祖母がまだ元気だった頃に、ねぶた祭を見せたいということで青森まで来たことがありました。その時は多分、弘前のねぷた祭の方を見に行ったと思います。

父方の祖母は親父の地元・神奈川県横浜市在住でしたので、新幹線に乗ってはるばる青森までやってきたのです。当時はまだ新幹線も当時住んでいた八戸市まで通じておらず、盛岡どまりで盛岡からは特急電車に乗換だったと記憶していますので、かなりの長旅だったと想像出来ます。

 

青森ねぶた祭や弘前ねぷた祭に行ったことがある方はご存知だと思いますが、全国的に有名なお祭りなだけあって人出が半端ないです。また祭当日は大きな山車を引っ張って街中練り歩くので、交通規制がかかります。そのため渋滞は避けられませんし、下手をすると市街地に入ることも出ることもできません。

そんな大変なお祭りにも関わらず、やっぱり一度は見せてあげたいと頑張って親父が車を運転して祭に行ったんですね。

 

ねぶた祭もねぷた祭も夜になりライトアップしてからが見所だと思うのですが、ある程度観光を終え、ただでさえなれない上に交通規制がかかった街中を抜ける頃には祭もクライマックス、既に山車をしまいはじめてる所もありました。

 

ライトアップしている山車を間近で見せたかった事もあって、せめて山車小屋に入れる側でと祖母を連れて行きました。
危険を避けるため、念のため近くで指揮をとっていた小屋の責任者らしき方に声をかけました。

父「すいません、小屋の側で見てもいいですか?」

小屋の方「いいけんど…もうしまうとこだよ」

父「ああ、それでも大丈夫です。」

小屋の方「じゃあ遠慮無くどうぞ」

祖母「ありがとうございます」

小屋の方「どちらから?」

祖母「横浜です」

小屋の方「横浜町(青森県下北半島に位置する町)か?それとも神奈川?」

父「神奈川です」

そんな会話をした後でした。それまで出番を終えた山車をよいしょよいしょと小屋にしまっていた男衆に向け、その小屋の責任者らしき方が大きな声で

「おーーい!いっぺんだせー!明かりつけろーー!」

そう叫ぶと、何となく事情を察したのか男衆が一斉に山車を準備しライトアップしたのです。目の前には最大に展開した光輝く山車。祖母は何度も何度もお礼を言いながら、山車を見つめていました。

前述で少し南部・津軽の確執があることについて触れましたが、こういう事があってからというもの「津軽の男は粋である」というイメージが私の中にできたのでした。いつかまた、ねぷた祭を見に行きたいなぁ。