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フリーランスウェブデザイナーArata-Atrasi-Takamiのブログ。服・靴・育児ときどき開発。

Tag Archives: 伝統

吉靴房で靴をオーダーしました

  • 投稿日:2013/10/15

京都のハンドメイド革製品工房吉靴房さんから、オーダーしていた靴が届きました。
別に狙ったワケじゃないんですが、到着したのがちょうど誕生日に近い日で図らずも「自分への誕生日プレゼント」になりました。

こちらがその靴です。

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吉靴房の代表作「単皮(たび)」というモデルです。
ほぼ昔からある地下足袋ベースのSOU・SOU足袋とは異なり、靴に近い要素があります。

現在の「足袋」はもともと鹿等の一枚皮で作った半靴であったため「単皮(たび)」と呼ばれており、後に当て字で現在使われている「足袋」に変わったという説があります。そう考えると足袋の先輩ですね。

足袋(たび) – 語源由来辞典

 

 

SOU・SOUのダブルネームモデルとしても販売されており(内部の焼き印にSOU・SOUの文字が入ります)基本的に白・黒のみでの展開なんですが、ダブルネーム扱いではない方のモデル(焼き印が違うだけで同じもののようです)では内側・外側で色を変える事もできます。今回は外側が白・内側が紺のツートンカラーです。

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SOU・SOU×吉靴房 / SOU・SOU net shop

吉靴房×SOU・SOU / 吉靴房

吉靴房 / 単皮(たび)

こちらは完全受注生産の製品ですので、注文後のキャンセルやサイズ交換ができません。京都にいる方は直接工房に出向いて採寸できると思いますが、他地域ですと難しいかも知れません。
私の場合は代官山・無垢里に展示会で吉靴房の野島さんが来られた際に採寸して頂きました。

靴としてはなかなか高額な買い物になりますので、近くで展示会等があった場合は何とかして行って採寸してもらった方が良いんじゃないかと思います。

オーダーしてから受取までは約2ヶ月くらいでした。もっとも、オーダーの混み具合や内容によって期間は異なってくると思いますので、もっとかかる場合もあると思います。詳しくは吉靴房さんに直接問い合わせたほうが良いと思います。

 

 

 

SOU・SOU(若林株式会社)やCA4LA(有限会社ウィーブトシ)・TENGA(株式会社典雅)なんかもそうなんですが、単純に「自分が良いと思ったもの」「自分が好きなデザインのもの」というだけでなく、その企業の持っている理念だったり指針みたいなものに魅力を感じて、半ば「応援」とか「投資」に近い気持ちで商品を購入する事があります(極端なことを言えば消費とはそういうことなのかも知れませんが)。

自分にとって吉靴房もそんな存在でして「新しい日本の履物文化の基本となるものを作りたい」という理念に共感を覚えて強い興味を持ちました。そんな新たな時代に向けての日本の履物デザインの一つとして「単皮」は制作されたそうで、是非とも一足は欲しいと思っていたのです。

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なお、有料にはなりますが、カカトの交換・ソールの張り替え等もやってくれるそうです。
大事に履けばまさに「一生もの」に近いかもしれませんね。

 

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以前にも似たような事を書いたかも知れませんが、「日本の伝統の技術」とか「日本古来の文化」というのは、本当はある種の「ナマモノ」っぽい部分があるのだと思っています。

「日本古来の文化」になど興味も無かった中高生時代にはあまり深く考えたこともなく、何となく教科書の一節に出てくる干物みたいなものの様に感じていました。でも、よくよく考えてみれば今残っている「伝統」と呼ばれるものを作り始めた人たちは、それが「最先端」だったのです。最初から古典を作ろうとはしていなかったはずです。
今でこそビートルズはロックの古典のように言われていますが、最初からビートルズはよくできた古典だった訳ではなく、大勢の人に話題にされて結果的にレジェンドに変わっていったんだと思います。それと一緒じゃないかと思います。

欧米から入ってきた靴をそのまま履き続けるのも、様式美にまでなった呉服の一部としての履物に従うのも、決して間違いではないでしょう。でも、その一方で現在進行形の日本の履物というものを履くのは、それはとても良いことなんじゃないかと思うんです。今既にスタンダードになった物を使うことよりも、今「最先端」として進行中の日本の伝統を身につけることで、ほんの小さな一コマに過ぎないかも知れないけれど推し進める事ができるかな…と思ったりもします。

 

様式美全てを否定するつもりはさらさら無いんですが「これはこういうもの」「これはこうあるべき」という先入観や固定概念を一度横に置いといて、少しだけ自分が日常の中で使うものに対して考えてみる…というのは、実は髪をおっ立てたり鋲付き革ジャンを何も考えずに着ることより、よっぽどロックでパンクじゃないのか…と、オッサンながらに考えてみたりもします。

なんか堅苦しくなってきた…(´∀`;)

履いてみた感想ですが、こういう靴はおろかオーダー靴自体が初めてですのでオーダー靴として「これこれどうだ」と書くのは非常に恐縮ではありますが、楽なのにピタッとくっつく感じと言いましょうか、凄くフィットします(当たり前か…)。靴を履いていて足のどこにも無理を感じない、今まであまり味わったことのない感覚でした。

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SOU・SOU地下足袋も(特に日進ゴム製のレザー足袋)かなりフィット感があって好きなんですが、この靴にはそれとはまた少し違った良さがあると思います。今年の秋冬はヘビーローテションにしようと思っています。
メンテグッズ買わなきゃ。

 

 


SOU・SOU×ユニクロ

  • 投稿日:2013/04/20

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先日、私の好きなブランドSOU・SOUとユニクロのコラボレーションが発表されました。

SOU・SOU×UNIQLO / 一語一絵 SOU・SOUブログ

ユニクロの日本土産プロジェクト4月22日スタート / ユニクロ NEWS TOPICS

 

ユニクロとのコラボに割れた反応

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実は3月のSOU・SOU KYOTO 青山店オープニングレセプションの際に、SOU・SOUの若林社長から
「春夏にユニクロさんとコラボします」
という発表があったんですよね。ちょっと意外な組み合わせに、レセプション会場からは「えぇぇ~っ!?」というどよめきが起こったのを覚えています。

そのレセプション会場内もさることながら、ネット上のブログやSNS・SOU・SOUブログのコメント欄等では賛否入り乱れた様々な反応が見て取れました。

「ついにSOU・SOUが世界へ本格的にデビューするのか」
「今までSOU・SOUを知らなかった人に知ってもらえるかも」
「どんな商品が出るのか楽しみ!」

といった感じの肯定的な意見もあれば。

「何でユニクロと…全然コンセプトが違うじゃないか」
「あまりメジャーになるとファンが離れるんじゃないか」
「ユニクロなんて中国製じゃないか!」 

といった感じの否定的な意見もありました。

 

 

ユニクロというパートナーへの拒否反応

否定的な意見の中にはインディーズバンドがメジャーデビューして、何となく自分の手の届かない場所に行ってしまう寂しさ…みたいな、ある種の感傷的なものも含まれているとは思いますが、それ以上に「ユニクロ」という今回のパートナーに対しての色んな思いがあるのだと思います。

昨今、ネット上ではユニクロに対する辛辣な評価が多く見られます。

「品質が大して良くない」「デザインがカッコ悪い」「着ていると被って恥ずかしい」といった以前からあるような商品そのものに対しての意見はもちろんですが、それと同じかそれ以上に言われているのが

  • ブラック企業である
  • 売国奴である

という二つの意見じゃないでしょうか。

ユニクロの離職率は5割超などと言われており、その労働環境に対してはかなりの批判があります。そのせいか現在はブラック企業の代表格の様に扱われています。

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他にも離職率が高い企業・業界は存在しますし、恐らくユニクロどころではない環境の企業も数多く存在すると推察されますが、ユニクロという企業の特性といいますか、特に目立って感じられるのでしょう。

 

「売国奴」と呼ばれる事については、2012年の夏ごろに尖閣諸島の領有権を巡った問題を発端に中国各所で「反日デモ」が起こった際に、上海のユニクロ店舗で

「支持釣魚島是中国固有領土」
訳:魚釣島(中国での尖閣諸島の呼称)は中国固有の領土であることを支持する

という張り紙をしたことが話題となり、それまでにも尖閣諸島付近で日本の巡視船と中国籍の不審船が衝突する事件が起こっていたことも重なって、ユニクロに対して一気に「国賊」扱いするような動きが出てきたと思います。

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ちなみに、この上海店舗の件についてはオフィシャルのコメントが出ています。
上海のユニクロ店舗における、尖閣問題に関する掲示物の件につきまして

 

実際にブラック企業なのかとか、売国行為を働いているのかは置いといて、ただでさえ「安かろう悪かろう」的な印象が強い上に、そういったブラックなイメージがつきまとっていたので、国産にこだわり品質保持に積極的なSOU・SOUの商品のファンの方の中には、ひどく拒否感を持った方もいたのだと思います。

あとは…何気にユニクロとデザイナーズブランドのコラボってあんまりパッとしないというか…結構コケてる事もあるんですよねwww

 

 

結局は知ってもらわないと意味が無い

まぁ上記のように否定的な意見も結構聞こえてくる訳ですが…。
個人的に今回のSOU・SOU×ユニクロのコラボレーションは、「SOU・SOUにとっては」良い機会になるんじゃないかなーと勝手に(上から目線で)思ってます。

SOU・SOUで扱っている主要アイテムの中に伊勢木綿という伝統的な製法で作られた綿素材のシリーズがあります。100年前のトヨタ式織機で織られるその綿は、強く撚りをかけずに綿(わた)に近い状態でゆっくりと織っていくため、非常に柔らかく、一般的な綿は洗えば硬くなるのに対して洗えば洗うほど柔らかく風合いを増していくという特性がある布地です。
SOU・SOUの若林社長が同社のテキスタイルデザイナー脇阪克二氏に紹介されて伊勢木綿と出会った時、直感的に「これは良い物だ」と思ったそうです。

しかし、伊勢木綿は他の伝統工芸等と同じく「後継者不足」「売上減」という悩みを抱えたものだったそうです。その大きな理由の一つが「知名度不足」で、何しろ周りの地元の人ですらその存在を認知できていないほどだったのだとか。

 

伊勢木綿や和服に限った話ではないのですが、結局のところ知ってもらって実際に使ってもらわないと、どこまで行っても先細りになるんです。例えそれがどんなに素晴らしい技術だったとしても…です。それは現在の和服が置かれている状況から証明されているんじゃないでしょうか。

これって自治体のサービスなんかでも同じで、どんなに素晴らしいサービスを提供していても、PRして認知させていかないと無意味なんですね。
私の娘が生まれた時の話になりますが、自治体が医療費関連の援助をしてくれるんです。それを知ったのはママ友さんから…。その数日前に同じ担当窓口で別の手続きをしているのに…ですよ?子供の医療費の助成制度なんて、一般的に言って使うに決まってるじゃないですか…。それなのに担当窓口では一言の説明も無く、目立たないパンフレットを数枚おいてあるだけ…(なんか愚痴っぽくなってきたw)。

「広報活動の大切さ」というのを思い知らされます。

よく「失われていく伝統の技術」みたいな事をメディアがことさら美化して取り上げたりして、その都度安くて品質の悪い海外製品が悪いような話にもっていったりする話を見聞きすることがありますが、100%とは言わないまでも結局のところそういった戦略的な広報活動が不足している部分も大いにあると思うのですね。

 

 

ユニクロとのコラボで知名度アップ?

最終的に国内産業にスポットを当てるために、様々な批判はあれど現状アパレル業界で最も海外進出をしていて知名度もあるユニクロとコラボレーションをするというのは、SOU・SOUにとっては例え企画自体がコケても何かしら残るものがあるんじゃないかと思うのです。

夏にはステテコ等のルームウェアを出すようですし、ファッションの主要アイテムとしては使いにくいユニクロも、ルームウェアや下着・雑貨なら割と手を出しやすいと思います。
というか、ユニクロに求められてるのっていわゆるH&Mみたいなトレンドバリバリのファストファッション的な魅力じゃなく、ブランドなんぞどうでもいい様な定番アイテムを安く買えるとこじゃないかと思うんですけど…w

SOU・SOU×ユニクロ製品を買った人のうち1%でもSOU・SOUに興味を持って、SOU・SOUの地下足袋を買えば…。それだけで廃業せざるを得なかった埼玉県行田市の国産地下足袋製造メーカー「まるそう産業」のような例が減るのです。

 

 

伝統を守るということ

「日本の伝統を守る」ということを、時々「外来種を排する」とか「何が何でも全て古いまま残す」という事と勘違いされている方がいらっしゃると思うのです。
外来種を排除して日本の伝統を温室に入れてその場をしのいでも、戦い抜く力を育てなければ次に外来種が来た時にまた同じ事を繰り返さなければなりません。

ミッシェルガンエレファントの誰か(クハラだったかな?)が言っていたような気がしますが

「味が変わらないということは変わるということだからね、結局水は変わるから」

という言葉を思い出します。

地下足袋をそれまでのただの作業靴として守るのではなく、機能性を兼ね備えた日本製オリジナルスニーカーとしてアプローチしたSOU・SOUのように、結局変わっていかないと「変わらない」ことは無理だな…と。
「留めておく」という事も大事ですが、それと同時に「続きを作っていく」とい事が凄く重要なんじゃないかと思うのですね。

SOU・SOUファンの方の中にはひどく落胆された方もいらっしゃるようですが、新しいSOU・SOU仲間が増えるかも知れない…とプラス思考で見守ってみてはどうかなーと、個人的には考えます。

 

 

逆にユニクロにとっては…どうなんでしょうw

企画は「海外の友人に日本土産を」というコンセプトらしいですが…そんなに海外旅行でユニクロ買ってく人いるかな…。円安傾向で海外渡航も減るかも知れないし、そもそも海外旅行に行く人ってそこそこ金持っててユニクロとかあんま見向きしないんじゃ…とか思ってしまうんですがどうでしょう。
きっとユニクロも企業体質やジレンマと戦いながら脱皮したいのだと思います。それこそオンワードやワールドなんかと同じように。

 

 


成人式の「花魁風」新成人で思うこと

  • 投稿日:2013/01/20
By: Lore & Guille

今年は生憎の天気となってしまった成人の日ですが。いつぞや職場の上司に言われてハッと気付いたのですが、泣いても笑っても「成人式」というのは人生に一度しか経験することができません。入学式や結婚式というのは、条件が許す限り何度でもできます(笑)

それだけ成人式は人生において意外とレア度の高いイベントなんですね。個人的には、成人式に対して思い入れみたいな感情も無く、実際のとこ私は成人式には出席しなかったのですが、親にしてみれば「20年という大きな節目を迎えることができた」というのは非常に嬉しいんじゃないでしょうか。私なら嬉しいです。何にせよめでたい節目だと思います。

 

今年も話題になっちゃった新成人の服装

さて、そんな成人式ですが、毎年毎年なにかしらのハプニングやら何やらも含めて恒例行事みたいになっていますね。例えばいわゆる「ヤンキー(昭和臭がするな…)」な新成人による式の新興を妨げる行為だったり、時には警察官と衝突して暴動騒ぎになったりなんてことも珍しくないです。

 

まーなんやかんやある成人の日なんですが、その成人の日に私はこんなツイートをしています。

 

後でちょっと言葉足らずだったかなーなんて思ったりもしましたが…。私の意図としては「変な色の羽織袴なんて…」という意味ではなく、「成人式で羽織袴を着る」という行為自体が既に「不良のすること」の様な扱いを受けているようで、せっかくの日本伝統の正装がもったいない事になってるなーという意味だったのです。

そんでもって、それを受けつつ。下記のような記事がネット上で散見されました。

成人式での「花魁風」振り袖に疑問の声(Livedoorニュース)

まぁヤンキーたちの笑点ヨロシクなカラフル羽織袴もあったので、個人的にはこれくらいは出現するだろうなーとか思ってたんですけどね。それでも世間的には奇異の目で見る対象になったらしく、多くのニュースサイト・2chまとめブログ・Twitterなんかで話題になったようです。

何気に似たような事は、過去にもありまして。

 渋谷109で売られてるメンズの浴衣がダサすぎると話題に(痛いニュース)

 「ミス・ユニバース日本代表、まるでポルノ女優」日本・海外で非難殺到…イネス氏ら「流行遅れが批判」「パンツじゃない」(痛いニュース)

実を言うと、こういった「花魁風の振袖」「109ギャル浴衣」「ミニスカ着物」といった話題になっている「話題の和装」は個人的にはハッキリ言って大嫌いです。着ろって言われたらオジサン恥ずかしくて死んじゃいます(笑)

これら「話題の和装」に対して拒否反応を示している方の多くが、おそらく見た目に対する嫌悪感で批判をしているのでは無いでしょうか。そして「着物ってこんなんじゃない!」と。

私自身、ちょっと前までは夏祭りの時期に「ミニスカ浴衣」なんかを目にすると「なんてことしてるんだ…」という風に思っていたのですが、オッサンになるにつれて考えが丸くなってきたのかどうかは知りませんが「許容されるべきなんじゃないの?」と思うようになりました。

 

いつの間にか「特別」になった和装

何度かこのブログでも書いたかもしれませんが、日本人にとっての「和装」があまりにも特殊な存在になってしまった側面があるんじゃないかと思います。成人式の羽織袴がDQNアイテム化してるとかってこともありますが、そういう「特例」を除いても、日本人が和服を着る機会って実は思った以上に少ないと思います。成人式を除けば、夏祭りの浴衣・甚兵衛、七五三・結婚式などのイベントくらいのもんじゃないでしょうか。男性なんかは女性に比べれば更に機会が少ないと思います。

「着物」と聞くと、呉服店で売ってる数十万単位もする高級品のイメージ、着付け等の形式がいくつも定められていて敷居の高いイメージ…そういう事が先行してしまうんじゃないでしょうか。これについては呉服業界のとってきた販売戦略等による弊害も多いのかもしれません。呉服業界が今抱えている問題というのは、それはそれは根深いようですから…。

 参考「現呉服業界の問題」(京都 行寛)

上記の参考記事に加えて、ちょっと個人的体験談というか少しだけ垣間見た「着物を取り巻く環境」についてのお話。

私の家の近所にはとあるリサイクル着物屋さんがあります(ちょっと意外かもしれませんが、古着になった着物というのはその需要の低さのせいなのか非常に安いです。上手いこと自分に合うサイズのものが見つかれば、学生アルバイトの給与でも充分一揃え買えてしまったりします。)現在は退職されてしまいましたが、そのお店の女性従業員の方から聞いたお話です。

その女性従業員の方は60代後半~70代前半くらいの方でした。私は最初にそのリサイクル着物屋さんに好奇心から入りました。その時に着ていたのがSOU・SOUの「ぱっと見、着物っぽく見える服」でした。その女性従業員さんは「面白いわね、どうなってるの?見てもいい?」と何度も私の着ていた服を見ていました。

すると女性従業員の方が「今は若い人がこうやってアレンジをして和服を着ているのね。素晴らしいわ。」といいました。というのも、その女性従業員の方が若い頃は「花魁風の振袖」どころか、ちょっとした着崩しも許されない時代だったそうです。まあ「ジーパン=不良」なんて話があるくらいですから本当でしょう(笑)

かつては普段着だった 「和装」がいつの間にか形式張って敷居の高いものになってしまったのは、他ならぬ我々日本人がそうしてしまった部分があるでしょう。もちろんそういった伝統美の魅力もありますし、それはそれで大切なことです。きっと呉服業界も悪気が合ってそうしたのではなく、伝統美というブランディングをしたかった側面もあるのだと思います。

 

昔は和装は意外とユルかった?

でもいつまでも原理主義的(?)になっていて良いのか?と思うことも沢山あるのです。伝統を守る一方で自由に各人の感性で楽しむ余地がないことで敬遠され、現に和装はこんなにも日本人にとって良くも悪くも特別な存在になってしまいました。

和装が当たり前だった江戸時代(当時は現代よりも庶民の服装規制が厳しかったそうです)なんかは、こういう着崩しも「」だったらしいです。今、成人式で羽織袴を着て下記の様に小袖と羽織を片肌脱ぎなんかしたら、粋どころか「だらしない!」とか言われちゃうんじゃないでしょうか。

参考:紙子襦袢をつけた町人(風俗博物館)

 

昔は着物が普段着だったこともあって、戦前などは帯芯・帯板のようなものはあまり使わず、帯自体もそれほどきつくは締めなかったようで割とルーズな着付け方だったそうです。

ちなみに「フォーマル」のあり方も、実は時代時代で結構変化してるんですね。

例えばお葬式で黒以外のスーツを着て行ったら「あれ?」と思われるかもしれません。法律で決まってるわけでも何でもないんですが、慣例的に「お葬式は黒無地のスーツ」と相場が決まっています。まあ無難ですしね。

でも実はネイビーやグレーのスーツでも、派手な柄物でなく白シャツ・黒無地タイを着用なら失礼にはあたらないとされています。

参考:服装 -通夜・葬式・葬儀- (冠婚葬祭マナー&ビジネス知識) 

もっと言うと、いわゆる「喪服」というのは明治時代頃まで「喪に服する人が着るもの」であって、遺族は喪服(昔は一部を除いて白だったそうです)を着ますが、喪に服していない参列者は喪服ではなく普段着(!)だったのだそうです。

結局のところお葬式では「故人を偲ぶ」事が最も重要なことで、宗教上のルールや思想はあるでしょうが葬儀の形式や服装がどうのというのは付随的なことに過ぎないのかもしれません。裏を返せば、黒無地だからといってトンデモナイ花飾りを頭につけたりするのは「ここ、自己主張の場じゃないんですけど…」という風に映るでしょう。

 

ファッションとしての振袖はアリなのか?

ちょっと脱線気味でしたが(笑)話を「花魁風振袖」に戻したいと思います。ニュース記事の中で、インタビューを受けた花魁風新成人の女性はこう答えています。

「花魁って形になります。すっごく寒いけど、雑誌とか見て憧れていた」

つまり自らが望んで「花魁風」をやったわけですね。花魁といえば遊女、つまり今で言う「風俗嬢」なわけですが、下位の遊女ならいざしらず上位の遊女ともなれば今のファッションヘルスやソープと違って、遊ぶ側にも経済力が求められるだけでなく花魁に気に入られないと遊ぶことはかなわなかったそうです。ソープ嬢と銀座の高級クラブのホステスの要素が合わさったような感じですね(銀座の高級クラブなんて行ったことありませんが…w)。そんな事もあってか「身体を売る商売」と蔑まれる事が多い風俗嬢に比べて「ファッションリーダー」のようにある種の敬意をもって見られることも多かったようです。

それでも「風俗嬢」といことで拒否反応を示す方もいたようです。

来年の成人へ。未来の花嫁へ。(宮木ログ)

つまり「花魁風」といえど「もともと風俗嬢のものを有難がって着るとは何事か」と。 もちろん上記の方は花魁がどのようなものであるかをよくお調べになっている様で「マンガや映画のように美しいことばかりじゃないよ」と仰っているのです。

Twitter上ではこんなツイートもありました。

無着成恭さんという僧侶の方の言葉で、あの歌舞伎役者「中村勘三郎」氏が 心の支えとした「型のない人が型を破ることを『型無し』という」という言葉を使い、新成人を戒めたのだと思われます。この言葉については私も同感で、やはり何かを突き詰めようとする際、型破りなことをやったり非常識なことをやったりするには、破る対象である「型」や「常識」を知らなければ単にデタラメなのです。

が!

私はこの言葉を新成人の花魁風に投げかけるのはちょっとフェアじゃないと感じました。

というのも、花魁風新成人が「和服や着物の世界で生きていこう」「着付けをやっていこう」と思っているのであれば別ですが、ファッションとして楽しんでいるのであれば「型」を持ち出すのは酷じゃないかと思うのです。外国人の方が着物の帯を締めずにコートのように羽織っているのを見て「型を知らないやつめ」と言うんでしょうか。街中をPコートで歩いている人に対して海軍どうのと言ったりするんでしょうか。

気軽にファッションとして楽しもうとしているところに原理主義を持ち出すことを良しとするなら、スーツのサイドベンツだって本来サーベルをさすための切り込みですから戦争どうのと因縁をつけることも可能になります。私が普段着ているSOU・SOUの商品に「太夫(たいふ)」というまさしく遊女の服をモデルにしたものがありますが、それもダメになってしまうんじゃないでしょうか。

私はそんなにいかがわしいですか?いかがわしいですか…そうですか…(←)

 

最後にいいたいこと

個々人の好き嫌いは仕方ないでしょう。私もミニスカ浴衣は嫌いですから(笑)でも、ミニスカ浴衣も花魁風振袖もあったって別に良いんじゃないの?とも思うのです。「私は嫌い」という意見が出るならわかりますが、大暴れした訳でもない花魁風新成人をわざわざネット上で晒しあげて中傷し、成人式の服装を制限するというのは理解に苦しみます。

成人式はフォーマルな場なんだから」というのであれば、どんな服装がフォーマルなのかを明示し、かつ「フォーマルでない」服装は入場自体を断るくらいの措置をしないと、基準が曖昧なままです。不明瞭な基準のままなのに、晴れの日で自分の好きなスタイルで出席した成人がいて、それを叶える着付け師・スタイリストがいることを許容しないというのは、それこそフェアじゃないと思うのです。

日本の風俗史としてのファッションを言うならば、大晦日に除夜の鐘をつき元旦に神社に初詣に行く様な、良くも悪くも節操のない楽しみ方をする日本人の特色でもあると思うのです。ある意味それは「許容できる」「寛容である」ということですから、それはそれで日本人の良さでもあるんじゃないかと個人的には思うんですね。

自分が良いと思ったものを自分が着たいように着る。残っていったり淘汰されたり再評価されたり…そういった一進一退を繰り返しながら、少しずつファッション史は進んでいくわけですね。

その中で伝統を守ろうとするのであれば、片一方で伝統と違うことが存在することにも寛容的でいいんじゃないのかなぁと思うのです。ましてや現代は法的にも文化的にも庶民の服装規制が強いわけでもないですし、何人かの新成人が花魁風にしたくらいで廃れるような伝統なら遅かれ早かれ別の理由で廃れるんじゃないでしょうか。

ちなみに、ちょっと昔ですが。私と似たような事を感じた方は他にもいらっしゃったみたいです。

 「着物はこうあるべき」という世間の目が和装文化をじわじわ殺している(togetter)

 

 

 

あーーーTwitterでも他のとこでも否定的な意見多かったんだよなー…フォロワー減っちゃうかなーこれ…